温度差

ここのところ“温度差”について時々考えている。
前から感じていたけど、あまり深く考えないようにしてたこと。


それはやっぱり地震の事なんだけど、
周りとの温度差。


だんなの実家のお母さんがじゃんじゃん物を送ってきて、かえって迷惑と嘆いている友達がいる。
野菜・調味料・ホームベーカリー・伝熱調理機などなど。
宅配物が届くようになった頃には、スーパーでもある程度の物は買えるようになってたから、
パンは自分で焼かなくたって、普通に買えていた。


とあるテレビ番組を観ていたら、
以前取材したことのある、津波の被害を受けた地域の人達の安否を、番組スタッフが必死に探して、
その人が避難所で見つかった時、
テレビ側の人はすごく感動して、“涙の再会”的な番組にしたいのが見え見えなんだけど、
探されてた人は「誰?」「何しに来たの?」みたいな顔。
起き上がりもせず、寝たままインタビューに応えてるおばあちゃんが印象的だった。


気仙沼の知人にやっと連絡がとれた時。
私はその子が無事である事に涙し、
その子は私と連絡がとれた事ではなく、周りの被害にあった人の事を話して泣いていた。


一緒に働いている子。
南三陸町で海の仕事をしている実家となかなか連絡がとれず、やっと無事が分かって、
地震の2週間後に、必死の思いで実家に帰宅。
その子は家族との再会に泣きじゃくったが、両親・兄弟は笑顔だったそうだ。


これって例えが悪いかもしれないけど、
例えば・・・・・
付き合っている彼氏がいて、その彼と電話が一向に繋がらないと、
私は熱くなって電話をかけまくる。
でも当の本人は結構しら〜〜っとしていて、かえって私の熱さに引いちゃったりして!?
って感じに似てる!?!?


真ん中に近い人と、その周辺の人を比べると、
周辺の人の方が温度が高いことってない?


自分よりひどい被害に合った人の状況、気持ちは推測できるけど、
その推測は間違っていることもあるってこと。
その状況にいる人にしか分からない事がある。


だから福島の友達の事、すごく心配だけど、
たぶんその子はその子で、今いるそこの人たちとがんばっていると思うから、
あまり連絡はしない。
東北地方だけがとり立たされて、物資がなかなか届かなかった関東地方の人たちの事だって、
私は推測することしかできない。


熱い温度は冷めるのが早い。
そうやって忘れ去られていくのだろう。
だからってそれを批判するつもりはない。
阪神淡路大震災の時は、完全に私は外側の人間だったから。




ここ数日のブログを見ると、私、病んでる感じだなぁ。。。。。
でもずっとこんな事考えてる訳ではないのです。。。。。
書き始めると、止まらなくなるのです。。。。。。