あの日、あの時

あの日から一か月が経ちました。
ここのところまた余震が多くなり、落ち着かない毎日。
地震後のことはブログにあれこれ書いてきましたが、
あの時の事はまだ書いていないので、一応残しておこうと思います。


地震の時、私は仕事中、薬局にいました。
幸いなことに?患者さんはおらず、事務のSちゃんと2人です。
私が揺れを感じたのと、携帯の緊急地震速報が鳴ったのがほぼ同時。
「もう、鳴るの遅いよ〜」、始めはそんな感じでした。
マニュアル通り、とりあえず出口の確保。
極度に怖がりのSちゃんが外に飛び出していきそうだったので、片腕を捕まえて、
「大丈夫、すぐにおさまるから・・・・。」
でも収まるどころか、だんだん揺れがひどくなって。
地面の鳴り響く轟音、アパート前の自転車、お米屋さんの前に停めてあった原チャリが倒れ、
どこからか女性の悲鳴も聞こえてきます。
目前の医院から患者さん・看護師さん・先生が、次々と駐車場に出てきました。
それを横目に見ながら、私達も2人で必死に揺れに耐えて。
何かにつかまってないと立っていられないくらいの強い揺れが、波のように何回も押し寄せてきます。
揺れと揺れの少しの合間に、私達も医院の駐車場に走って行き、合流させてもらいました。
その後も何回も何回も揺れて、つかまる物がないのでみんなでしゃがんで。
ホントに怖かった・・・・・。
どのくらいの時間をそこで過ごしたのかは分からないけど、
少し揺れが収まってきた頃に薬局に戻りました。
薄暗い中、何かがピーピー言ってます。
床に色んなものが散らばって、
今どういう状況なのか?これからどうしたらいいのか?今後どんな事が待ちうけているのか?
何も分かりません。
Sちゃんの実家が南三陸町で、牡蠣やワカメの養殖をしているので、
絶対に来るであろう津波も心配です。
何回も揺れを感じながら、散乱している薬局内を軽く片づけていると、
Sちゃんの彼氏と、取引先の卸の元担当者の方が、交通の不便な中、かけつけてくれました。
女二人にとっては救世主です。
街中の様子などを教えてもらい、その後医院も閉めるとのことなので、
16時過ぎに私達も帰ることにしました。
車での帰路、信号はもちろんついていません。
踏切も開きっぱなし。
歩いている人の尋常じゃない多さ。
ヘルメットをかぶっている人もいます。
車中でも時々くる余震を感じ、脚がガクガク震えが止まりません。
ガラスが割れている店、壁が落ちている家、
道路も今まではなかったはずの凹凸がいたるところにあります。
それでも、すごい地震がきたのは分かっているけど、
私はまだ現実として受け止めてない、受け止めたくない、
そう、夢を見ているような、映画を観ているような、
目の前に靄がかかっているような、フワフワした感じでした。
車もなかなか進まない中、それでも皆譲り合い、
いつもは30分かからない道を2時間以上かけて、やっと長町の家にたどり着きました。
5階の部屋まで非常階段をかけ昇って、玄関のカギをあけて、
ドアを開けて、目に飛び込んできた光景。
私が巨大地震を現実として受け止めた瞬間でした。
「あ〜、こういう事か・・・・・・」


靴のまま部屋に入ることにしました。
とりあえず食料の確保をしよう。確か冷蔵庫にチーズや牛乳が入ってたはず・・・・。
18時過ぎていたので外も薄暗く、影になっている台所は明りがないとよく見えず、

その上割れた食器・落ちた鍋が山積みになっていて、
手を伸ばせば届きそうな冷蔵庫にさえも行きつくことができない。
何をしていいのか分からないまま、寒いのでとりあえず毛布にくるまってみました。
「実家に帰ろう」
これから名取の実家まで果たしてどのくらいの時間がかかるか分からないけど、
でも1人でいるよりはいい。
何時間かかってもいい。
それまでも何回か親の携帯に電話をかけていたけど通じず、でも時々繋がりそうになるので、
何回もめげずにかけていると、やっと呼び出し音が鳴り、母がでました。
父も母も怪我もなく無事にいました。
「帰っておいで。玄関開けて待ってるから。」
部屋はそのままにして、とりあえず必要になるような物をかばんに詰め込んで、
その場から逃げるように家を出ました。
途中川に架かる橋を渡る時は「どうか落ちないで」と念じて。
思いの他早く、1時間程度で実家に到着。
その時確か20時過ぎだったと思うのですが、車を降りた瞬間、何か不思議な感覚に襲われました。
なんだろう?と辺りを見回し、上を見上げると・・・・・こぼれ落ちてきそうなくらいの多くの星たちでした。
真っ暗な闇を必死で照らすように。
すごくキレイなんだけど、それがかえって不吉なような、自然の猛威を表しているかのような。
それが停電のせいだと気づくのに、少し時間がかかりました。
家に入ると、父と母が私の帰りを待っていてくれました。
部屋には石油ストーブ、ろうそくを2本たてて、カセットコンロで夕食の準備ができています。
寒くて、暗くて、心細かった1時間前とはまるで違います。
実家は電気・ガスは止まっていたけど、水はチョロチョロでていました。
ご飯を食べ終え、後片付けをして、テレビはつかないし、お風呂も入れない、
何をする気にもならない。
もう寝てしまおう、ということになり、居間に布団を3枚敷いて、
親子3人同じ部屋で寝ることにしました。
でもお布団に入って横になっても、すぐに眠れないことは分かっています。
ラジオのニュースで「荒浜で200〜300名の遺体が上がった模様」と繰り返し言っています。
でもその時はそれがどういう意味なのか、
津波がきた事は分かるんだけど、そんな事ってあるのだろうかと、よく理解できませんでした。
絶え間なく鳴り響くサイレン、ヘリコプターの音を聴きながら、
余震の度に飛び起きて、この暗闇がいつまでも続くんじゃないかと、
ただただ恐怖を感じながら一夜を明かしました。
そして翌朝、明けない夜はない、必ず朝は来るものなのだと実感したのでした。